0f5a3d8e.JPG

高速道路が好きだ。

そこにある総てが大抵好きだ。

渋滞は好まないけれど、マナーの悪い車がいなければそれ程嫌ではない。

 

そこには距離があり、差異があり、現実と未来があり、運動と規則正しさがあり、スタートとフィニッシュがある。おまけに“最終地点” だってある。これは魅力的な単語だ。

とくに緩やかに上昇する直線と、逆に優雅に下降するカーブなどは筆舌に尽くし難い。ああ、こういう時に絵を描いていて良かったと思う。月並みな言い方だが、言葉にできないものを絵にする術を、持ちうる事に感謝する。(完全に持っている訳ではない、ただ持ちうるというだけの事だが。)

 

誰にでも、理由もなく何かを得る瞬間があると思う。

或いは何かを得るような直感が訪れる事があると思う。

理由もなく心を掻き乱されたり、嬉しくなったりする経験があると思う。

そんな時目の前には何かしらの風景・情景が広がっている。

私は主体的に風景を「選んで」見ている気がしていたが、もしかしたら風景が私を選んでいた瞬間もあったかもしれないと思う。そこに展開された風景は何事かの啓示であり、感情を掻き立てる何者かの提示であったのかもしれない。

 

時として我々は、風景を作り出すと同時に、むしろ風景に選ばれ含まれている。